こどもの日は、日本の国民の祝日の一つで、毎年5月5日に祝われます。
この日が制定された経緯は、古くからの風習である「端午の節句」と、戦後の新しい国づくりの中で「子どもを大切にする」という理念が結びついた結果です。
こどもの日が制定された訳
1. 「端午の節句」の歴史的背景
「こどもの日」のルーツは、もともと中国から伝わった「端午の節句」にあります。
- 起源は古代中国の厄払い: 「端午」とは、「月の始めの午(うま)の日」という意味ですが、やがて「午」と「五」の音が同じであることから、5月5日を指すようになりました。中国では、この時期に疫病が流行りやすいとされ、邪気を払うための行事が行われていました。菖蒲(しょうぶ)やよもぎを飾ったり、薬草を身につけたりして、無病息災を願うものでした。
- 日本への伝来と奈良・平安時代: この風習は奈良時代に日本に伝わり、宮中行事である「端午の節会(せちえ)」として行われるようになりました。ここでも、菖蒲やよもぎを使って邪気を払うことが重視されました。
- 武家社会における変化(鎌倉・室町時代): 時代が武家社会に移ると、「菖蒲」が「尚武(しょうぶ)」(武を尊ぶこと)に通じることから、武士の間で重んじられるようになります。これにより、男の子の成長や立身出世を願う意味合いが強まっていきました。
- 江戸時代の庶民への浸透: 江戸時代になると、端午の節句は武家だけでなく、庶民の間にも広く普及しました。この頃から、男の子の健やかな成長を願って、兜や鎧を飾ったり、鯉のぼりを立てたりする現在の風習が形作られていきました。兜や鎧は、武士が身を守るための道具であったことから、「子どもを病気や災いから守る」という意味が込められています。鯉のぼりは、中国の登竜門の故事に由来し、立身出世を願う象徴とされています。
2. 「こどもの日」の制定(1948年)
第二次世界大戦後、日本が復興に向けて進む中で、新しい国のあり方を示すための祝日が検討されました。
- 戦後の新しい理念: 戦争で多くのものが失われ、これからの未来を担う子どもたちの育成が国家にとって重要課題となりました。子どもたちの健やかな成長と幸福を願う日を設けることは、平和で豊かな社会を築く上で不可欠であるという考えが広がりました。
- 「国民の祝日に関する法律」の制定: 1948年(昭和23年)に「国民の祝日に関する法律」が制定され、この中で5月5日が「こどもの日」として新たに国民の祝日に定められました。
- 制定時の目的: 祝日法では、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」と明記されています。これは、単に男の子の成長を祝う「端午の節句」から、性別を問わずすべての子どもたちの成長と幸福を願い、さらにその子どもを育ててくれた母親に感謝する日としての意味が加えられたことを示しています。
さいごに
このように、こどもの日は、古くから続く「端午の節句」の伝統を受け継ぎつつ、戦後の新しい社会において「子どもたちを大切にする」という理念を明確にするために制定された祝日です。
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