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西暦536年に何が起きた?

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西暦536年は、「人類史上最も生きにくかった年」とも称されるほど、世界中で大規模な異常気象とそれに伴う深刻な影響に見舞われた年として知られています。

主な出来事は以下の通りです。

西暦536年に何が起きた?

1. 世界規模の異常気象と「火山の冬」の到来

  • 大規模な火山噴火: この異常気象の主要な原因と考えられているのは、アイスランドか北アメリカ、あるいはインドネシアのクラカタウ(前年535年)など、北半球の複数の場所で発生した大規模な火山噴火です。これらの噴火により、大量の火山灰や硫黄が成層圏に放出され、地球全体を覆いました。
  • 太陽光の減少と気温低下: 火山灰が大気中に広がることで太陽光が遮られ、地球に届く熱が激減しました。これにより、北半球では「火山の冬」と呼ばれる現象が発生し、平均気温が3度も低下したとされています。この年の気温は、過去2000年間で最も低い年の一つだったと考えられています。
  • 不作と飢饉: 気温の低下は農作物に壊滅的な影響を与えました。作物は実らず、真夏に雪が降ったり霜が降りたりする異常気象が各地で報告され、広範囲で深刻な飢饉が発生しました。
  • 記述に残る異変:
  • 東ローマ帝国やイタリア: 当時の歴史家プロコピウスやミカエルは、「太陽が薄暗くなり、地球に届く熱も減少し、季節外れの雪と特大の雹が降った」と記録しています。
  • 中国: 『南史』には、「空から黄色い塵が降ってきて、手ですくい上げることができた」と記されており、これは飛来した火山灰と考えられています。
  • 朝鮮半島: 『三国史記』には、雷が鳴り響き、疫病が大流行し、広範囲の干ばつが起こったことが記されています。
  • 日本(古墳時代): 当時の天皇が新年の詔で厳しい寒さと飢餓に言及しており、日本もこの異常気象の影響を受けていたと考えられます。

2. 歴史的影響

  • 飢餓と疫病の蔓延: 寒波と不作により、2年以上も作物が収穫できない地域もあり、多くの人々が飢餓に苦しみました。さらに、栄養失調による免疫力の低下も相まって、542年には「ユスティニアヌスのペスト」と呼ばれる腺ペストが大流行し、東ローマ帝国では全人口の3分の1から半数が命を失ったとされています。
  • 社会の混乱と変動: 長期間にわたる食糧危機は、社会に大きな混乱をもたらしました。人口移動が誘発され、ゲルマン民族の大移動や、東ローマ帝国の衰退、さらにはイスラム教の誕生など、その後の世界史の大きな転換点に影響を与えた可能性も指摘されています。
  • 日本の状況: 蘇我稲目が大臣となるなど、日本の政治史にも動きが見られますが、直接的に536年の異常気象との関連を示す資料は少ないものの、当時の天皇の詔からその影響が示唆されています。また、この時期の天候異変や伝染病の蔓延が、仏教の普及につながった可能性も考えられています。

さいごに

このように、西暦536年は単なる一年の出来事としてではなく、その後の数十年間にわたる地球規模の気候変動と、それに伴う人類社会への甚大な影響という観点から、歴史上特筆すべき年とされています。

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