日本が過去に行った外国との戦争は多岐にわたりますが、特に近現代において国家として関与した主なものを時系列で並べてみました。
古代から中世にかけても、朝鮮半島や中国大陸との軍事的な関わりはありましたが、ここでは近代国家としての形成以降に焦点を当てます。
過去に日本が行った外国との戦争
明治維新以降の主な対外戦争
- 日清戦争 (1894年 – 1895年)
- 相手国: 清(中国)
- 原因: 朝鮮半島の支配権を巡る対立。甲午農民戦争(東学農民運動)を契機に両国が出兵し、衝突。
- 結果: 日本の勝利。下関条約により清は朝鮮の独立を認め、遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に割譲。巨額の賠償金を支払う。
- 義和団の乱 (1899年 – 1901年) への八カ国連合軍としての参加
- 相手国: 清の一部勢力(義和団)
- 原因: 中国で外国排斥運動が激化し、各国公使館が襲撃されたことに対し、日本を含む8カ国が共同出兵。
- 結果: 義和団の鎮圧。北京議定書により清は巨額の賠償金を支払う。
- 日露戦争 (1904年 – 1905年)
- 相手国: ロシア帝国
- 原因: 満州と朝鮮半島の権益を巡る対立。ロシアの南下政策に対抗。
- 結果: 日本の勝利。ポーツマス条約により、日本はロシアから旅順・大連の租借権、南満州鉄道の利権、樺太の南半分などを獲得。
- 第一次世界大戦 (1914年 – 1918年) への連合国側としての参加
- 相手国: ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国など中央同盟国
- 原因: 日英同盟に基づき、ドイツが占領していた中国山東省や南洋諸島への権益拡大を目指す。
- 結果: 連合国側の勝利。日本はドイツが持っていた太平洋の島々(赤道以北)の委任統治権や山東省の権益を得る。
- シベリア出兵 (1918年 – 1922年)
- 相手国: ロシア革命後のソビエト連邦(赤軍)、および白軍の一部勢力など
- 原因: 第一次世界大戦中の連合国による対ソ干渉戦争の一環として、チェコ軍団の救援と対ソ警戒のために出兵。
- 結果: 最終的に日本軍も撤兵。当初の目的を十分に達成できなかった。
- 満州事変 (1931年 – 1932年)
- 相手国: 中華民国(奉天軍など)
- 原因: 満州における日本の権益を巡る対立。柳条湖事件を契機に日本軍(関東軍)が武力行動を開始。
- 結果: 満州国建国。日本は国際連盟を脱退。
- 日中戦争 (1937年 – 1945年)
- 相手国: 中華民国(国民政府、中国共産党)
- 原因: 盧溝橋事件を契機に本格的な全面戦争へ発展。日本の中国大陸における権益拡大と中国の抗日運動の衝突。
- 結果: 太平洋戦争と合流し、日本の敗戦により終結。
- ノモンハン事件 (1939年)
- 相手国: ソ連、モンゴル人民共和国
- 原因: 満州国とモンゴル人民共和国の国境線を巡る紛争。
- 結果: ソ連・モンゴル軍の勝利。大規模な陸上戦となり、日本軍に大きな損害が出た。
- 太平洋戦争 (1941年 – 1945年)
- 相手国: アメリカ合衆国、イギリス、オランダ、中華民国、ソビエト連邦など連合国
- 原因: 日中戦争の泥沼化、ABCD包囲網による経済封鎖、資源確保、東南アジアにおける権益拡大など。真珠湾攻撃を契機に開戦。
- 結果: 日本の無条件降伏。第二次世界大戦の終結。
補足
- これらの戦争は、それぞれが複雑な背景と経緯を持ち、日本国内外で様々な歴史的評価や解釈が存在します。
- 「大東亜戦争」という呼称は、太平洋戦争における日本側の呼称であり、当時の日本がこの戦争を「アジア解放の聖戦」と位置づけたことを示します。
日本は第二次世界大戦の敗戦後、憲法第9条により戦争を放棄しており、外国との戦争は行っていません。
大東亜戦争の日本から見た真実

「大東亜戦争」という呼称は、第二次世界大戦における日本の対米英蘭中戦争を指し、当時の日本政府が公式に用いたもので、この戦争に関する「真実」と言われるものは、国内外で様々な歴史認識や解釈が存在し、一概に語ることは困難です。
ここでは、当時の日本が「大東亜戦争」という呼称に込めた意味や、その背景にあったと主張される日本の認識について、いくつかの側面からみてました。
1. 「大東亜戦争」という呼称の意味と背景
- 大東亜共栄圏の建設: 当時の日本政府は、この戦争の目的として「大東亜新秩序の建設」を掲げました。これは、日本を盟主として、東アジアから東南アジアに及ぶ広大な地域(「大東亜」)から欧米列強の植民地支配を排除し、共存共栄を図るという構想でした。そのため、この戦争は単なる地域戦争ではなく、この構想を実現するための「聖戦」であると位置づけられました。
- 欧米列強からのアジア解放: 日本が主張した主要な動機の一つに、15世紀から500年以上にわたってアジアを植民地支配してきた欧米列強からのアジア解放がありました。日本は、日露戦争での勝利によってアジアで唯一欧米列強に対抗しうる国としての地位を確立し、その延長線上にアジアの解放を目指したと主張しました。実際に、戦争初期には日本軍が東南アジア各地から欧米勢力を駆逐し、アジア諸国の独立運動に影響を与えた側面も指摘されています。
- 自存自衛の戦い: 日本の公式文書である「開戦の詔書」にもあるように、日本は「自存自衛のため」に戦争に踏み切ったと主張しました。これは、ABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中国、オランダによる経済制裁)による資源の供給途絶など、欧米からの経済的圧迫により、国家の存立が脅かされたという認識に基づいています。特に石油やゴムなど、日本の産業に不可欠な資源の供給が断たれたことは、開戦への大きな要因とされました。
- 大陸政策と防共: 日露戦争以降、大陸における日本の権益と欧米列強のそれとの食い違いが深まり、またソ連の台頭による共産主義の脅威に対抗するという「防共」の側面も、日本が開戦に踏み切った理由として挙げられます。
2. 戦争に対する日本の認識の多様性
戦後の日本においても、この戦争に対する歴史認識は多様であり、大きく分けて以下の二つの見解が存在します。
- 東京裁判史観: 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決に基づき、満州事変以降の日本の行動を「一部軍国主義者」による「共同謀議」に基づく侵略と理解する見方です。この見方では、日本のアジアへの加害と、それに対するアジア諸国の抵抗が強調されます。
- 大東亜戦争肯定論: 戦争を、ペリー来航以降のアジアにおける白人勢力に対する日本の抵抗と反撃の集大成であると捉え、積極的に肯定する見方です。この見方では、日本がアジア諸国の独立を助けた側面や、自存自衛のための戦いであった側面が強調されます。
これらの見解は、歴史教科書への記載や、靖国神社参拝問題など、現代の日本の社会においても継続的に議論されています。
3. 歴史の複雑性
「大東亜戦争」の「真実」を語ることは、当時の国際情勢、各国の思惑、そして日本国内の複雑な状況を多角的に考慮する必要があります。
単一の「真実」として捉えるのではなく、多様な視点や解釈が存在することを理解することが重要です。
この戦争がアジア、そして世界の歴史に与えた影響は計り知れず、現在に至るまで様々な形で議論が続いています。
大東亜戦争の期間
「大東亜戦争」という呼称は、日本が第二次世界大戦中の太平洋戦争を中心とする戦いを指して用いたもので、この「大東亜戦争」の期間については、日本政府による公式な定義がいくつ存在し、歴史学的な視点によっても異なりますが、一般的には以下のようになります。
- 開始: 1941年12月8日(日本時間)
- 日本軍がハワイ真珠湾を攻撃し、イギリス領マレー半島にも上陸した日です。この日、日本はアメリカとイギリスに対して宣戦布告しました。
- この日をもって「大東亜戦争」の始まりとされています。
- 終結: 1945年8月15日
- 日本がポツダム宣言を受諾し、終戦の詔書(玉音放送)を発した日です。
- 正式な降伏文書への署名は9月2日ですが、実質的な戦闘の終結は8月15日とされています。
ただし、より広範な視点では、日中戦争の開始である1937年7月7日の盧溝橋事件から数える場合もあります。
これは、「大東亜戦争」が太平洋地域だけでなく、中国大陸での戦闘も含むという考え方に基づくものです。
しかし、日本政府が「大東亜戦争」という呼称を閣議決定したのは1941年12月12日であり、その対象は対米英戦争を中心としていました。
一般的に「大東亜戦争」の期間は1941年12月8日から1945年8月15日までと言われています。
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