これは日本のAV文化を語る上で避けて通れない、非常にディープなテーマですよね。
海外の映像と比べると、「なぜ日本だけモザイク(修正)があるんだろう?」と疑問に思うのは当然のこと。
そこには、日本の法律と、古くから続く社会の価値観が深く関わっているんです。
その理由を少し見てみましょう!
【モザイクの壁】なぜ日本のAVは無修正が禁止されているのか?法律と価値観の深い溝
日本のAV(アダルトビデオ)を見る際、男性なら一度は「なぜモザイクがかかっているのだろう?」と感じたことがあるでしょう。
この「モザイクの壁」の背景には、**「わいせつ物頒布等罪」**という日本の法律の存在があります。
これは、単なるルールではなく、日本社会の性に対する歴史的な価値観が色濃く反映された結果なのです。
1. 核心的な理由:「刑法第175条」の存在
無修正AVが禁止されている最大の根拠は、日本の**刑法第175条「わいせつ物頒布等罪」**です。
この法律は、**「わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者」**を罰すると定めています。
Point 1: 「わいせつ」とは何か?
最大の論点はこの「わいせつ」の定義です。
裁判所は、過去の判例(※「チャタレー事件」など)を通じて、「わいせつ」を以下のように解釈しています。
「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」
そして、具体的な映像として、**「性器や性交を直接的かつ具体的に描写したもの」**は、この「わいせつ物」に該当するというのが、長年の司法の判断となっています。
Point 2: モザイクはその「回避策」
つまり、無修正で性器を映した映像は「わいせつ物」と見なされ、頒布(販売や公開)すると犯罪になる、というのが日本の法律の建前です。
この法律を回避しつつ、アダルトな表現を可能にするために、**「性器の部分に修正(モザイク)をかける」という手法が編み出され、業界の自主規制と合わせて定着していったのです。
モザイクは、法律上の「わいせつ」のラインを超えないための“安全装置”**の役割を果たしています。
2. 社会の「建前」と「本音」の葛藤
なぜ、海外のように成人向けの表現が許容されないのか?そこには、日本の文化的な背景があります。
- 「性」を公に語ることへのタブー視: 日本には古来より「性」に対する曖昧な態度があります。江戸時代など、ある時代にはおおらかだった側面もある一方で、「公の場」でそれを露骨に表現すること、特に性器をそのまま見せることに対しては、**「公共の秩序や善良な風俗を乱す」**という建前の意識が強く残っています。
- 「表現の自由」vs「公共の福祉」: 表現者は「表現の自由」を主張しますが、法律は「公共の福祉」(社会全体の道徳や秩序)を守ることを優先しています。この二つのバランスが、長年にわたって議論されてきましたが、未だに「性器の露骨な描写は公共の福祉に反する」というラインが崩れていないのが現状です。
3. 海外との違いは「管轄」と「文化」
海外、特に欧米諸国では、成人向けのコンテンツは**「わいせつ」ではなく「ハードコア・ポルノグラフィ」**として、年齢認証などの厳格なルールのもとで合法的に流通しています。
- 法の目的が異なる: 海外では、規制の目的が主に「未成年者の保護」や「強制労働の排除」にあります。成人間で合意のもとに制作されたコンテンツについては、私的な領域での自由な閲覧を認める傾向が強いです。
- 日本の法律の管轄外(※補足): 私たちがインターネットで見かける無修正動画の多くは、海外のサーバーで公開・配信されています。日本の刑法は基本的に日本国内での行為を罰するものですから、海外サーバーからの配信行為を日本で直接取り締まるのは非常に困難です。(ただし、日本国内から海外サーバーへアップロードする行為は、日本の法律が適用される可能性があります)
モザイクは「現状維持」の象徴
日本のAVにあるモザイクは、**「刑法175条」**という硬い壁が存在し続ける限り、消えることはありません。
それは、「性」の表現に対する社会の**「建前」であり、自由な表現と秩序維持の間の「妥協点」**でもあります。
多くの議論があるにもかかわらず、長年にわたりこのモザイクの規制が撤廃されないのは、刑法の条文を改正することが、社会全体で「性の公的なあり方」についてコンセンサスを得る必要がある、非常に重い問題だからなのです。
【法のパラドックス】ネットで無修正が溢れるのに、なぜ「刑法175条」は改正されないのか?

これは、先ほどの問題と同じように多くの人が抱く素朴で、そして最も本質的な疑問ですよね。
「ネット時代に、この法律は形骸化しているのでは?」と。
結論から言えば、日本国内での「頒布」(販売や公開)行為を罰するという刑法第175条の原則は、ネット時代になっても改正されていません。
そして、改正が難しいのには、法的な壁と政治的・社会的な壁の両方が存在します。
ブログ風に、この「矛盾」がなぜ解消されないのかを解説します。
インターネットの普及により、海外サーバーを経由した無修正コンテンツは事実上誰でも簡単に見られるようになりました。
それなのに、日本のAVメーカーが国内で無修正作品を作ると「犯罪」になる。この**「デジタルとアナログのズレ」**は、なぜ解消されないのでしょうか?
1. 法律の「管轄」という名の壁 🚧
刑法175条が改正されない最大の理由は、**「法律が届かない領域」**ができてしまったことにあります。
- 日本の法律が適用される範囲: 刑法175条は、**「日本国内でわいせつ物を頒布・陳列する行為」**を罰するものです。日本のAVメーカーや販売店が国内のサーバーや店舗で無修正を扱えば、当然この法律で逮捕されます。
- ネットが作った「法の抜け穴」: 私たちがネットで見る無修正動画のほとんどは、無修正が合法な国にサーバーを置く海外のサイトで配信されています。日本の法律は海外のサーバーや管理者に対しては、原則として適用できません。つまり、法律の規制を逃れているのは、法律そのものが古いからというよりも、インターネットが国境を越えるという特性を持っているからです。
2. 「改正」のコストとハードルが極めて高い 🏛️
では、いっそのこと刑法175条を廃止または改正して、モザイク規制をなくせばいいのでは?という意見もありますが、これには極めて大きな政治的・社会的なハードルがあります。
ハードル①:「わいせつ」の再定義の困難さ
刑法を改正するということは、**「何をわいせつと見なして、どこから規制するのか?」**という社会的なコンセンサスを、一から作り直す必要があります。
- 保守的な勢力の抵抗: 刑法は社会の秩序や道徳観を反映するものです。性器の露出を合法化することに対し、**「公序良俗の乱れ」「青少年への悪影響」**などを理由に、強く反対する保守的な勢力や団体が多数存在します。
- 不明確性の問題: 以前の判例では、「わいせつ」の定義が不明確であるとして、憲法の「表現の自由」に反するのではないかという議論が常に付きまとっています。新しい法律を作る際にも、この「明確性の原則」をどうクリアするかが大きな問題となります。
ハードル②:「リベンジポルノ」など新たな問題との兼ね合い
もし「性器の露出」を合法化(非わいせつ化)してしまうと、リベンジポルノやディープフェイクなどの新たな性的搾取の被害に対して、現在のわいせつ物頒布等罪で対抗することが難しくなる可能性が出てきます。
現在、これらの問題は刑法175条や、新たに制定された**「リベンジポルノ防止法」**などで対処されています。既存の法律を安易に変えると、別の問題への規制が手薄になるリスクがあるのです。
3. 「取り締まりの対象」はネットでも変わっていない
確かに一般の視聴者は罰せられません。刑法175条は、わいせつな物を**「頒布(販売・公開)」した者、つまり「供給側」**を罰する法律だからです。
しかし、インターネット時代になっても、日本国内から海外サーバーに無修正データをアップロードした行為に対しては、日本の警察が積極的に捜査を行い、逮捕・検挙する事例が続いています。
法律は古くても、その適用を広げることで、ネット上の「供給側」への圧力は維持し続けているのです。
まとめ:社会の「建前」と「諦め」の共存
刑法175条が改正されないのは、「性器の露骨な描写は国内では許されない」という社会的な建前を維持したいという意向と、「改正して得られるメリットよりも、政治的・社会的な混乱やコストの方が大きい」という諦めにも似た感覚が共存しているためと言えるでしょう。
結果として、**「日本国内で生産・流通するAVはモザイク必須」という状況は維持され、「海外の無修正は黙認」**という、世界でも稀な「法のパラドックス」が現在も続いています。


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