大晦日から新年にかけて、なぜお寺の鐘を「108回」叩くのか。
この習慣は「除夜の鐘」として私たち日本人の心に深く根付いていますが、その背景には仏教の深い教えと、人間の心の仕組みに関する膨大な洞察が隠されています。
今回は、単なる慣習としての説明に留まらず、仏教的な背景、煩悩の計算式、そしてなぜ「大晦日」というタイミングで行われるのかについて、解説をお届けします。
1. 「除夜の鐘」の定義と歴史的背景
まず、言葉の意味から紐解いていきましょう。大晦日の夜を「除夜(じょや)」と呼びます。
「除」という字には「古いものを捨て、新しいものに移る」という意味があります。
つまり、一年の最後の日である大晦日は、古い自分を脱ぎ捨てて、まっさらな自分に生まれ変わるための「浄化の夜」なのです。
中国から伝わった習慣
除夜の鐘の習慣は、もともと中国の宋時代のお寺で行われていたものが鎌倉時代に日本へ伝わったとされています。
当時は修行僧たちが日常的に行っていた儀式の一つでしたが、室町時代から江戸時代にかけて、庶民の間にも「一年の締めくくり」としての行事として定着していきました。
なぜ「鐘」なのか
仏教において、鐘の音は「仏の声」や「真理の響き」とされます。
その音色は、迷いの中にいる人々の目を覚まし、苦しみから解放する力があると信じられてきました。
また、鐘の音の余韻(響き)が消えていく様子は、万物は常に変化し続けるという「諸行無常」を象徴しています。
2. なぜ「108回」なのか:煩悩の数学的解明
「108」という数字は、仏教において人間の「煩悩(ぼんのう)」の数とされています。煩悩とは、私たちの心を乱し、苦しみを生み出す原因となる、欲や怒り、執着などの精神的な汚れのことです。
なぜ煩悩が108個あると言われるのか、その計算根拠にはいくつかの説がありますが、最も代表的な「六根(ろっこん)」に基づく説を詳しく解説します。
① 六根(ろっこん)
まず、人間が物事を感じ取るための6つの感覚器官があります。
- 眼(げ):視覚
- 耳(に):聴覚
- 鼻(び):嗅覚
- 舌(ぜつ):味覚
- 身(しん):触覚
- 意(い):意識(心)
② 感受の状態(3段階)
これらの感覚を通して入ってきた情報に対し、心は3つの反応を示します。
- 好(こう):良いと感じる
- 悪(あく):悪いと感じる
- 平(へい):どちらでもないと感じる
計算:6(六根) × 3 = 18
③ 性質の清濁(2段階)
さらに、その感じ方がポジティブかネガティブか、あるいは清らかか濁っているかという2つの側面があります。
- 染(ぜん):執着し、心が汚れる状態
- 浄(じょう):執着せず、清らかな状態
計算:18 × 2 = 36
④ 時間軸(3つの世界)
これらの心の動きは、時間の流れの中でも発生します。
- 過去
- 現在
- 未来
計算:36 × 3 = 108
こうして、私たちの心の中には、過去・現在・未来にわたって、五感と意識から生じる108通りの「迷い」が渦巻いていると考えられているのです。
3. 四苦八苦(しくはっく)説
もう一つの有名な説が、人生の苦しみを表す「四苦八苦」からきているという数式です。
- 四苦(4×9=36)
- 八苦(8×9=72)
- 合計:36 + 72 = 108
「4(し)苦」と「8(は)苦」を掛け合わせて足すと108になるという、一種の語呂合わせのような考え方ですが、これも日本人の間では広く知られています。
ちなみに、四苦とは「生・老・病・死」のこと。
八苦はそれに「愛別離苦(愛する人と別れる苦しみ)」「怨憎会苦(嫌な人と会う苦しみ)」「求不得苦(欲しいものが手に入らない苦しみ)」「五蘊盛苦(心身のコントロールが効かない苦しみ)」を加えたものです。
4. 二十四節気と七十二候説
仏教的な煩悩とは別に、暦(こよみ)に基づいた説もあります。
- 二十四節気:立春、夏至、秋分、冬至など、1年を24に分けたもの。
- 七十二候:二十四節気をさらに3つずつ分け、気象や動植物の変化を記したもの(72)。
- 十二ヶ月:1年の12ヶ月。
計算:24 + 72 + 12 = 108
この説では、108という数字は「1年という時間のサイクルすべて」を表しています。
つまり、108回の鐘を打つことで、この1年間に起こったすべての出来事に感謝し、清めるという意味が込められているのです。
5. 鐘を打つ「タイミング」の作法
除夜の鐘は、ただ闇雲に108回打てば良いというわけではありません。
実はその「時間配分」にも意味があります。
多くの寺院では、107回を大晦日のうちに打ち、最後の1回を新年(元旦)になってから打ちます。
なぜ1回だけ残すのか?
これには「去る年の煩悩を107個まで消し去り、最後の1回を新年に打つことで、新しい年に煩悩に振り回されないように決意する」という意味があります。
鐘の音を聞きながら、私たちは自分の内側にある醜い部分や、失敗、後悔、執着などを一つひとつ手放していきます。
そして最後の1回が鳴り響くとき、心はゼロになり、清々しい気持ちで新年を迎えられるようにデザインされているのです。
6. 煩悩は「消す」ものか「認める」ものか
ここで、現代における除夜の鐘の意義について少し深く考察してみましょう。
「鐘を打って煩悩を消す」と言いますが、果たして人間から煩悩は本当になくなるのでしょうか。
仏教の教え(特に大乗仏教)には**「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」**という言葉があります。これは「煩悩があるからこそ、それを乗り越えようとする悟りの知恵も生まれる」という意味です。
欲があるからこそ頑張れる。 怒りがあるからこそ正義を求める。
寂しさがあるからこそ人を愛せる。
除夜の鐘を聞くとき、私たちは「煩悩を完全に抹殺する」のではなく、「自分の中に108つもの迷いがあることを認め、それらを鐘の音とともに優しく包み込んで浄化する」と捉えるのが、現代的な心の整え方かもしれません。
7. 「音」が持つ科学的・心理的効果
お寺の大きな鐘(梵鐘)が放つ「ゴーン」という低い音には、実は科学的にもリラックス効果があると言われています。
1/fゆらぎ
梵鐘の音には、自然界の音(小川のせせらぎや風の音)と同じ「1/fゆらぎ」が含まれています。
このゆらぎは人間の脳波をアルファ波へと導き、深いリラックス状態を作り出します。
超低周波
大きな鐘の音には、人間の耳には聞こえないほどの低い周波数が含まれており、これが身体の深部に響くことで、一種の瞑想状態(マインドフルネス)を引き起こします。
大晦日の冷たく澄んだ空気の中で、重厚な鐘の音を全身で浴びることは、心理学的に見ても「心のデトックス」として非常に理にかなっているのです。
8. まとめ:108回の響きが教えること
大晦日から新年にかけて響く108回の鐘。それは単なる仏教行事ではなく、私たち日本人が千年以上かけて育んできた「精神のリセットボタン」です。
- 108という数字は、私たちの心の複雑さと、それを受け入れるための知恵。
- 大晦日というタイミングは、過去を清算し未来へ繋ぐための境界線。
- 鐘の音は、迷いを断ち切り、自分を見つめ直すためのシグナル。
テレビから流れてくる鐘の音であれ、近くのお寺で直接聞く音であれ、その響きに耳を澄ませるとき、私たちは自分自身の「108の心」と対話しています。
今年の最後、108回の鐘の音が響き渡るとき、あなたはどの煩悩を手放し、どのような心で新しい扉を開くでしょうか。
その響きは、古い自分との別れの合図であり、まだ見ぬ新しい自分への祝福の音なのです。
いかがでしたでしょうか。
除夜の鐘に込められた「108」の意味を深く知ることで、今年の大晦日の過ごし方が少し変わるかもしれませんね。

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