勤労感謝の日は、「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日として、国民の祝日に関する法律(祝日法)によって定められています。
勤労感謝の日が制定された訳
この祝日の制定には、日本の古くからの文化と、戦後の社会の変化が深く関わっています。
1. 「新嘗祭(にいなめさい)」がルーツ
勤労感謝の日の最も重要なルーツは、古来より日本で行われてきた**「新嘗祭」**(にいなめさい、しんじょうさい)という宮中行事にあります。
- 収穫への感謝: 新嘗祭は、その年に収穫された五穀(特に新米)を神々に捧げ、豊かな実りに感謝し、翌年の豊作を祈願する、日本で最も重要な収穫祭の一つです。天皇陛下も自ら新穀を神々に供え、これを召し上がる儀式を行います。
- 歴史の深さ: 日本書紀にも記述があるほど古くから行われており、稲作を中心とした日本の生活に深く根ざした伝統行事でした。戦前は、この新嘗祭の日が国の祭日として国民の休日となっていました。
2. 戦後の祝日法の制定
第二次世界大戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下で、日本の国家神道と皇室の祭祀を国民の祝日と切り離す政策が進められました。
その中で、1948年(昭和23年)に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」によって、それまでの「新嘗祭」の日は、**「勤労感謝の日」**と名称を変え、国民の祝日として再定義されました。
3. 「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨
新嘗祭が勤労感謝の日へと変わったのは、単に収穫に感謝するだけでなく、**「勤労そのもの」と、それによってもたらされる「生産」**に感謝するという、より広い意味合いを持たせるためでした。
- 労働への敬意: 戦後の復興期において、国民一人ひとりの勤労が社会を支え、発展させていく上で不可欠であるという認識が強まりました。勤労感謝の日は、あらゆる分野で働く人々の努力と貢献を敬う日として位置づけられました。
- 生産への感謝: 農産物だけでなく、工業製品やサービスなど、人々が生み出すあらゆる「生産物」と、それによって豊かになる生活に感謝する意味も込められています。
- 相互の感謝: 「国民たがいに感謝しあう」という言葉は、社会は様々な人々の労働によって成り立っていることを認識し、互いに感謝の気持ちを伝え合うことの重要性を示しています。
4. 11月23日である理由
新嘗祭はかつて旧暦の11月2回目の卯の日に行われていましたが、明治時代に太陽暦が導入された際に、新暦の11月23日に固定されました。
この日付が、戦後も「勤労感謝の日」として引き継がれています。
さいごに
勤労感謝の日は、古くからの収穫祭である「新嘗祭」を起源としながらも、戦後の民主主義社会において、天皇の祭祀という側面から離れ、国民一人ひとりの労働の尊さ、生産活動への感謝、そして社会全体で互いに支え合うことへの感謝を促す日として制定されました。
これは、勤労を通じて豊かな社会を築き、その恩恵を分かち合うという、日本の社会のあり方を象徴する祝日と言えます。
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