文化の日は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日として、国民の祝日に関する法律(祝日法)によって定められています。
その制定には、日本の歴史的背景と、戦後の国家再建への願いが深く関わっています。
文化の日が制定された訳
1. 天長節(てんちょうせつ)から文化の日へ
文化の日のルーツは、戦前まで国の祭日であった明治天皇の誕生日「天長節」(11月3日)にさかのぼります。
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下で、日本の国家神道と切り離す形で、これまでの「祝祭日」が廃止され、新たな「国民の祝日」が制定されることになりました。
2. 日本国憲法の公布と施行
1946年(昭和21年)11月3日、新しい日本国憲法が公布されました。
この憲法は、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を基本理念とし、戦後の日本のあり方を大きく変えるものでした。
そして、その新憲法が施行されたのが、翌年の1947年(昭和22年)5月3日(現在の憲法記念日)です。
3. 「文化の日」の制定と平和国家建設への願い
1948年(昭和23年)に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」によって、**11月3日を「文化の日」**とすることが決定されました。
なぜこの日が選ばれたのかについては、以下の理由が考えられます。
- 日本国憲法公布の日: 11月3日という日が、平和と民主主義を掲げた日本国憲法が公布された記念すべき日であったことが最大の理由です。新しい憲法の精神である「自由と平和」の理念を国民全体で祝う意味合いが込められました。
- 「文化」の重視: 戦後の焼け野原の中から、日本が目指すべきは軍事力ではなく、学術、芸術、教育といった「文化」の力によって平和国家を再建していくことであるという強いメッセージが込められています。
- 伝統と革新の融合: かつての「天長節」という伝統的な日に、戦後の新しい価値観である「自由と平和、文化」を重ね合わせることで、歴史の連続性を保ちつつ、新たな国の方向性を示す意図があったとされています。
「国民の祝日に関する法律」第2条では、文化の日の趣旨を「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と明記しています。
これは、国民一人ひとりが自由な精神を持ち、平和を希求し、学術や芸術、教育など多様な文化活動を通じて社会を発展させていくことの重要性を意味しています。
さいごに
このように、文化の日は、戦後の日本の再出発にあたり、平和主義と民主主義を柱とする新しい国家の建設を誓い、その基礎となる「文化」の重要性を国民全体で認識するための重要な祝日として制定されたものです。
毎年この日には、文化勲章の親授式や、各地で文化に関する行事が開催されます。
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