なぜ? 丙午の年に女の子を産むなと言われたのか?

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皆さん、こんにちは!暦や迷信にまつわる話題って、知れば知るほど奥が深いですよね。

なぜ? 丙午の年に女の子を産むなと言われたのか:迷信がもたらした悲劇の歴史

今回は、日本でかつて大きな社会問題にもなった、**「丙午(ひのえうま)」**という干支(えと)にまつわる、ちょっと切ない迷信について掘り下げていきます。

😱 そもそも「丙午」って?

「丙午」は、干支(十干十二支)が60年で一巡するうちの一つです。

  • 十干(じっかん): 甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)
  • 十二支(じゅうにし): 子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)

この組み合わせで、「丙(ひのえ)」と「午(うま)」が結びついた年が「丙午」です。

直近では1966年でしたね。その前は1906年、次は2026年です。

❌ 迷信の内容:「丙午の女性は夫を食い殺す」?

この迷信の核心は、「丙午の年に生まれた女性は、気性が荒く、夫の運気を吸い取り、最終的には夫を不幸にする(=夫を食い殺す)」という恐ろしいものでした。

どうしてこんな話が生まれたのでしょうか?主な起源は、江戸時代に遡ります。

💡 語源とされる「八百屋お七」の悲劇

最も有力な説は、江戸時代初期に起きた**「八百屋お七(やおやおしち)」**という女性の事件に結びつけられたというものです。

  1. お七の事件: お七は恋人に会いたい一心で放火の罪を犯し、**1683年(天和3年)**に火あぶりの刑に処されました。
  2. 当時の干支: この1683年が、たまたま「癸亥(みずのとい)」の年だったにもかかわらず、いつの間にか「丙午」の年と混同されたり、あるいは「火」にまつわる事件として**「火の属性」**を持つ「丙(ひのえ)」のイメージに結びつけられたりしたと言われています。
  3. 「午」の意味: 十二支の「午(うま)」も、昔から気が強くて活発なイメージが結びつけられやすかったため、「丙(火)」と「午(活発/強い)」が組み合わさって、「気が強く、手に負えない女性」というイメージが増幅されていったのです。

つまり、根拠のない単なる迷信や誤解、そして江戸時代のゴシップが、尾ひれをつけて広まってしまったのが真相です。

📉 実際に起きた社会現象(1966年の例)

この迷信は、迷信だと笑って済まされないほど、日本の社会に深刻な影響を与えました。

特に、直近の丙午である1966年のデータを見ると、その影響の大きさがわかります。

出生数(概算)出生率(対前年比)
1965年(前年)約182万人
1966年(丙午)約136万人約25%減!
1967年(翌年)約193万人
  • データが示すこと: 1966年の出生数は、前年や翌年に比べて極端に落ち込んでいます。これは、丙午を恐れた人々が、出産を翌年にずらしたり、中絶を選んだりしたためだと考えられています。
  • 「女の子を産むな」の悲劇: この迷信は特に女の子の出生を忌み嫌うものでした。統計上、男女の出生比率に極端な変化は見られなかったものの、「丙午の女の子」として将来いじめや差別を受けるのではないかと、親や親戚が深く悩んだケースが非常に多かったのです。

✨ まとめ:迷信に振り回されない未来へ

丙午の迷信は、**「根拠のない噂や古くからの言い伝えが、科学的な知識が不足していた時代に、どれほど多くの人々の人生や社会の動きを左右したか」**を示す、非常に象徴的な事例です。

2026年には次の丙午がやってきます。現代において、この迷信を気にする人はほとんどいなくなりましたが、大切なのは、生まれ年や性別で人の性格や運命が決まることは絶対にないということです。

私たちは、過去の迷信に囚われず、すべての子どもたちが健やかに成長できる、オープンな社会を築いていきたいですね!


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