「女性の胸に昔の男はあまり関心がなかった」という話は、特に江戸時代以前の日本においては真実に近いと言えます。
現代の美意識とは大きく異なり、当時の人々がエロスを感じる対象は、胸の大きさや形とは別のところにありました。
その興味深い歴史を、解説します!
衝撃の事実!江戸時代の男性は「胸」に興味がなかった
現代の日本では、女性のバストの豊かさやラインが、ファッションや美容、そして男性の興味の対象として大きな位置を占めています。
しかし、日本の歴史を遡ると、この「胸」に対する認識が、まるで現代と別世界のように異なっていた時代があるのです。
特に江戸時代以前の男性は、現代のような意味で女性の胸に性的・審美的な関心を向けていなかった、というのが通説です。
一体、なぜなのでしょうか?
1. 「乳房」は性の対象ではなかった!
現代人にとって最も驚くべきは、江戸時代までの日本では、女性の乳房が「性の対象」として認識されていなかったという点です。
乳房はあくまで「授乳のための器官」という、生物学的・機能的な側面が強く、現代のような性的シンボルではありませんでした。
- 半裸は日常の一部: 当時の庶民の生活では、女性が畑仕事や水仕事の際に上半身を露出したり、銭湯が混浴だったり、時には裸で歩くことさえ、特に恥ずかしい行為とは見なされていませんでした。乳房を隠すのは、授乳が終わった後の女性にとっては当たり前のことではありませんでした。
2. 男性が魅力を感じたのは「肌」と「仕草」
では、昔の男性は女性の体のどこにエロスや美を見出していたのでしょうか?
当時の日本における美の基準は、現代とは大きく異なっていました。男性が関心を寄せる美のポイントは、主に以下の点に集中していました。
(1) 色白でなめらかな肌
昔の日本において、女性の美の絶対的な条件は**「白さ」**でした。
顔だけでなく、首筋、うなじ、そして胸元にかけて、いかにきめ細かく白い肌(そして、大根足のブログでも触れたように白い足)を保っているかが重視されました。当時の美人画を見ても、白く美しい肌が強調されています。
(2) 隠された「うなじ」と「手足」
着物文化の日本では、普段覆われていてチラリと見える部分にこそ、エロスが宿るとされていました。
特に**「うなじ(襟足)」は、肌が見える数少ない場所であり、女性の色気を感じさせる重要なポイントでした。また、着物の袖や裾からわずかにのぞく手首や足首**なども、想像力を掻き立てる部位でした。
(3) 着物が生み出す「仕草」や「雰囲気」
体型そのものよりも、着物を着崩さずに歩く**「立ち居振る舞い」や、しとやかな「仕草」**、そして言葉遣いなど、身体の外側で表現される性差や雰囲気に魅力を感じる文化でした。
服や髪型、**「姿勢」**によって生まれる奥ゆかしさこそが、エロスと見なされていたのです。
3. 「胸」への関心はいつ生まれたのか?
女性の胸に対する現代的な関心が生まれたのは、主に明治時代以降、開国と西洋文化の流入がきっかけです。
西洋では、古くから女性の肉体の丸みが美や性の象徴とされてきました。
この「女性の肉体こそがエロティックである」という考え方や、西洋のグラマー(肉感的)な美意識が日本に輸入されたことで、男性の視線も変化していきます。
さらに、近代に入り「ブラジャー」が普及し、女性が乳房を「隠す」文化が浸透したことで、隠された部分への関心が強まり、徐々に「胸の大きさ」が性的関心の対象として認識されるようになったのです。
まとめ:文化が変える美意識
昔の日本の男性が女性の胸にあまり関心がなかったというのは、**「乳房は性の対象ではない」**という日本独自の文化と美意識があったためです。
人が何に魅力を感じ、何にエロスを感じるかは、決して普遍的なものではなく、その時代の文化や社会によって形成されるものなのですね。
昔の美人画を見て、当時の男性の視線のあり方を想像してみると、非常に面白い発見があるかも!


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