元日が日本の祝日になった経緯は、大きく分けて以下の2つの段階を経て形成されました。
元日が祝日になった訳
1. 明治改暦による新年の確立(1873年・明治6年)
- 太陽暦の導入: 明治政府は、それまでの太陰太陽暦から太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を断行し、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日と定めました。これにより、現在の1月1日が法的に「年の最初の日」として確立されました。
- 伝統的な新年の祝祭: 日本では古くから、旧暦の正月(年の初め)には様々な行事が行われ、人々にとって重要な節目でした。改暦によって日付は変わったものの、新年を祝う習慣は引き続き社会に根付いていました。
- 「四方拝」の慣例: 明治政府は、改暦後も慣例として「四方拝(しほうはい)」(天皇が天地四方の神々を拝し、国家国民の安泰と五穀豊穣を祈る儀式)が行われる1月1日を事実上の休日としていました。しかし、この時点では「国民の祝日に関する法律」のような明確な法令による祝日ではありませんでした。
2. 「国民の祝日に関する法律」の制定(1948年・昭和23年)
- 戦後の祝日制度の見直し: 第二次世界大戦後、日本は民主主義国家として再出発し、戦前の祝祭日制度(多くは皇室の祭日や国家的な記念日)の見直しが求められました。
- 「国民の祝日に関する法律」の制定: 1948年(昭和23年)7月20日、「国民の祝日に関する法律」が公布・施行されました。この法律は、「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける」という理念に基づいて制定されました。
- 元日の制定: この法律の制定当初、元日(1月1日)は、成人の日、天皇誕生日、春分の日、憲法記念日、こどもの日、秋分の日、文化の日、勤労感謝の日と並び、計9日の「国民の祝日」の一つとして正式に定められました。その趣旨は「年のはじめを祝う」とされました。
- 世論の支持: 内閣府の資料によると、祝日法の制定に際しては、新年を祝日とすることについて当時の世論も含め、広く支持されたとされています。これは、新年の節目を祝うという国民的な意識が根強く存在していたことを示しています。
このように、元日が祝日になった経緯は、明治期の改暦によって現在の1月1日が「年の初め」として確立されたことに加え、戦後、国民の生活や文化に根ざした祝日を定めるという新しい理念のもとで、「国民の祝日に関する法律」によって正式に国民の祝日として位置づけられたそうですよ。
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