夏休みが始まる7月、子どもたちはきっとワクワクしています。自分も子供の頃は、夏休みが楽しみでワクワクしていました。大人になって変わりましたが。大人のみなさんはいかがですか?
学校の夏休みほど長期間休むわけにはいきませんが、夏はお祭りや花火大会が開催されたり、海や山へ遊びに行ったり、予定を立てるのが楽しい時期でもあります。
今回は、7月のイベント・行事・記念日・風物詩をまとめてみましたので、夏を思いっきり楽しむ参考にしてみてください。
7月のイベント・行事・記念日・風物詩
梅雨明け(7月)
最初に梅雨明けするのは、沖縄県です。
沖縄県は6月23日ごろに梅雨明けするのが平年値で、その後、少しずつ北上していき、7月下旬ごろまでに日本全国梅雨明けします。
(※北海道地方、小笠原諸島は梅雨の時期が定義されておらず、統計がありません)
新緑が美しい季節が終わると、次にやってくるのは梅雨ですね。 毎日降り続く雨で洗濯物が乾かなかったり、家の中がじめじめしてカビの心配をしたり・・・時には大雨が続いて災害を起こしたりと、あまりうれしくない梅雨ですが、農作物が成長するには欠かせない季節でもあります。
平年の「梅雨入り」「 梅雨明け」と基準や定義
毎日降り続く雨で洗濯物が乾かなかったり、家の中がじめじめしてカビの心配をしたり時には大雨が続いて災害を起こしたりと、あまりうれしくない梅雨ですが、農作物が成長するには欠かせない季節でもあります。
そんな梅雨ですが、梅雨入り、梅雨明けの基準や定義があります。
誰がどんな基準で梅雨入りや梅雨明けを決めているのか、調べてみました。
平年の梅雨入り・梅雨明
地域名、梅雨入り平年値~梅雨明け平年値の順に書いていきます。
沖縄地方・・・5月9日頃~6月23日頃
奄美地方・・・5月11日頃~6月29日頃
九州南部地方・・・5月31日頃~7月14日頃
九州北部地方(山口県を含みます)・・・6月5日頃~7月19日頃
四国地方・・・6月5日頃~7月18日頃
中国地方(山口県を含みません)・・・6月7日頃~7月21日頃
近畿地方・・・6月7日頃~7月21日頃
東海地方・・・6月8日頃~7月21日頃
関東甲信地方・・・6月8日頃~7月21日頃
北陸地方・・・6月12日頃~7月24日頃
東北南部地方・・・6月12日頃~7月25日頃
東北北部地方・・・6月14日頃~7月28日頃
北海道地方、小笠原諸島・・・梅雨の時期が定義されておらず、統計がありません。
梅雨の基準と定義
梅雨は、春から夏にかけて東アジアの広範囲でみられる特有の気象現象です。
春から夏にかけて太平洋高気圧が活性化し、大陸の高気圧が北に押されることによって、日本南岸から中国長江流域に梅雨前線が停滞し、曇りや雨の日が多くなります。
この期間を梅雨と呼びますが、北海道と小笠原諸島ではこの気象現象が生じず、梅雨はないとされています。日本では北海道、小笠原諸島以外の地域で、約1か月半、梅雨の時期になりますが、この時期は毎日雨が続くわけではなく、晴天が続くこともあります。
梅雨入りや梅雨明けは、気象庁が発表します。そのとき「梅雨入り宣言」や「梅雨明け宣言」という報道があります。気象庁はさまざまな気象条件をみて、梅雨入り・梅雨明けの判断材料とします。
「雨が一週間以上続くと予想されると梅雨入り」
「晴れが一週間以上続くと予想されると梅雨明け」
「梅雨前線がその地域に戻ってこない(北上・消滅などで)と判断されたら梅雨明け」
このような判断基準があるともいわれていますが、毎年同じ気象現象が生じるわけではなく、確実に予測することは不可能なため、ある程度の予想で「梅雨入り・梅雨明け宣言」を行います。そして、最終的に9月に気象台の観測結果を再検討してその年の梅雨入り・梅雨明けを決め、記録として残します。そのため、6月に「関東地方は6月10日に梅雨入りしたとみられます」と報道があっても、9月の再検討で「関東地方の梅雨入りは6月11日」となることもあるのです。
梅雨入り・梅雨明けには、明確な判断基準がないことがわかりました。
梅雨入り宣言がされた途端、晴天が続いて「梅雨入りしたんじゃないの?」と思う方も多いようですが、報道をよく聞いていると「梅雨入りしたとみられる」と、曖昧な表現をしています。これは、正式な発表が9月に行われるからなのですね。季節の移り変わりは曖昧なものです。「梅雨入りしたとみられる」と発表があったとしても、前後数日間ズレると思っておくといいのかもしれません。
七夕(7月7日)
色とりどりの折り紙で作った飾りと一緒に、願い事を書いた短冊を笹に吊るします。
1年に1度だけ、七夕の日に再会できる織姫と彦星の伝説がとても有名です。
七夕の由来とは?七夕飾り・短冊の意味って何?願い事を叶えるにはどうすればいい?
子どものころ、願い事を書いた短冊を笹につるし、色とりどりの折り紙で七夕飾りを作った思い出はありませんか?大人になって、織姫と彦星が七夕の夜だけ再会できるということからロマンチックな1日というイメージを抱いた方はいませんか?七夕といえば、織姫と彦星のお話がとても有名ですが、ほかにも由来となるものがあるようです。今回は、七夕についていろいろ調べてみました。
七夕の由来
七夕は五節句(ごせっく)のひとつです。
五節句とは、
1月7日「人日(じんじつ)の節句」
3月3日「上巳(じょうし)の節句」
5月5日「端午(たんご)の節句」
7月7日「七夕(しちせき)の節句」
9月9日「重陽(ちょうよう)の節句」
の五つの節句のことで、中国の唐の時代(618年~907年)にはすでに制度として整えられており、日本へは奈良時代(710年~794年)に伝わって宮中行事になったと言われています。
七夕は、旧暦の7月7日に行われていました。新暦とは一か月ほどのズレがあり、現在の8月7日ごろということになります。明治に新暦に変わってから日本の七夕祭りは、7月7日や旧暦の時期の8月7日、あるいはそれらの前後の時期に開催されています。
七夕の由来には諸説あります。
「織姫と彦星の伝説」が由来という説
織姫(こと座のベガと呼ばれ、裁縫の仕事をつかさどる星)と彦星(わし座のアルタイルと呼ばれ、農業の仕事をつかさどる星)は、旧暦7月7日に天の川をはさんで最も光り輝いて見えることから、中国ではこの日を一年に一度のめぐり逢いの日と考え、「織姫と彦星はとても仲の良い夫婦になったのに、好きすぎて仕事が手につかず、怒った神様たちが天の川を挟んで離れ離れにし、7月7日にだけ逢えるようにした」という話が生まれたといわれています。
「棚機(たなばた)」という神事が由来という説
日本では昔、乙女が着物を織って棚に供え、神様を迎えて豊作を祈ったり人々の穢れを祓う「棚機(たなばた)」という禊(みそぎ)の神事が行われていました。
神事に選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、清い水辺にある機屋(はたや)に籠って神様のために心を込めて着物を織り、その際使われるのが「棚機」という織り機です。
仏教が伝わると「棚機」はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになり、「七夕」を「しちせき」ではなく「たなばた」と当て字で読んでいるのは「棚機」からきていると考えられています。
「乞巧奠(きこうでん)」という中国の行事が由来という説
中国ではこと座のベガは「織女(しゅくじょ)星」といいます。
裁縫の仕事をつかさどる星と考えられており、7月7日に織女星にあやかって裁縫が上達するように祈る風習が生まれました。
このとき、庭先の祭壇に針や糸などの裁縫道具を供え、星に祈りをささげますが、やがて裁縫だけではなく芸事や書道などの上達も願うようになったそうです。
七夕飾り・短冊の意味
七夕の歌に「五色の短冊~私が書いた♪」という歌詞があるように、短冊の色は五色でそれぞれに意味があります。これは、中国の五行説(ごぎょうせつ・万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるものという考え方)からきており、色や意味が当てはめられています。
緑(青)=木=徳を積む、人間力を高める
赤=火=父母や先祖への感謝の気持ち
黄=土=信頼、友人知人を大切にする
白=金=義務や決まりを守る
黒(紫)=水=学業の向上
紙衣(かみこ・かみごろも)・・・裁縫が上達するよう願い、災いを人形が身代わりとなって受けてくれるといわれています。
巾着(きんちゃく)・・・昔のお財布で、金運上昇と商売繁盛を願います。
網飾り(あみかざり)・投網(とあみ)・・・豊漁や豊作を願います。
屑籠(くずかご)・・・節約と整理整頓ができるよう願います。
吹き流し・・・織姫のように機織りが上達するよう願います。
千羽鶴・・・家族の長寿を願います。
願い事を叶える為に
短冊に願い事を書くときは、先述した五色の短冊の色と意味に沿った願い事を書くと良いとされています。たとえば、友人知人を大切にする意味がある黄色い短冊には「お友達とずっと仲良く過ごします」、学業向上の意味がある黒(紫)の短冊には「漢字をたくさん覚えます」という風に使い分けましょう。また「○○になりますように」と書くよりも「○○になります」と断言して書くと願い事が叶うそうです。1年に1度だけ織姫と彦星が逢えることから、ロマンチックなイメージが強い七夕ですが、本来は裁縫が上達するよう願う行事だったのですね。短冊の色や七夕飾りにもそれぞれ意味があることがわかりましたので、子どもたちにもこのことを伝えながら一緒に作るとより楽しめるのではないでしょうか。みんなの願いが天に届くといいですね!
海の日(第3月曜日)
海の日は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨とし、平成7年(1995年)に制定され、平成8年(1996年)から施行された国民の祝日のひとつです。
海に囲まれた島国日本ですから、常に、海の恩恵に感謝していたいです。
自分が子どもの頃は、「海の日」という祝日なんてなかったよね?という方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。 22年前の平成8年(1996年)から施行された祝日なので、アラフォー以上の方にとっては「子どもの頃にはなかった祝日」ですね。 今回は、「海の日」についていろいろ調べてみました。
「海の日」の由来は加山雄三
自分が子どもの頃は、「海の日」という祝日なんてなかったです。制定されるのが遅い。
22年前の平成8年(1996年)から施行された祝日なので、アラフォー以上の方にとっては「子どもの頃にはなかった祝日」ですね。
今回は、「海の日」についていろいろ調べてみました。
「海の日」
海の日は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨とし、平成7年(1995年)に制定され、平成8年(1996年)から施行された国民の祝日のひとつです。
最初は7月20日が「海の日」とされていましたが、ハッピーマンデー制度によって平成15年(2003年)に7月の第3月曜日に変更されました。ハッピーマンデー制度とは、企業や学校に週休二日制が浸透したことから、月曜日を国民の祝日にすることで、土曜・日曜・月曜を3連休とし、余暇を過ごしてもらおうという趣旨で制定されたものです。国民の祝日の一部を、固定日から特定週の月曜日に移動させました。
しかし、歴史的な出来事によって制定された祝日が全く縁(ゆかり)のない日付に移動するため、この制度に対しては批判も多いです。
「海の日」は祝日になる前は「海の記念日」でした。明治9年(1876年)に明治天皇が「明治丸」という灯台巡視用の蒸気船で東北・北海道地方を巡行されました。
それまで軍艦による御巡幸はあったものの、蒸気船では初めてのことでした。
このとき、3日間も荒波で大変な状況になり、予定より遅れて7月20日に横浜港に帰着されたにもかかわらず、毅然とした態度で人々を安心させたそうです。
これを記念して、昭和16年(1941年)に「海の記念日」が制定されました。
由来は加山雄三さんは誤報
昭和16年に制定された「海の記念日」は、海の仕事に従事している人の間で記念行事が行われる程度で、一般市民にはあまり知られていませんでした。
しかし、海の仕事に従事している人たちによる「海の記念日」の祝日化運動が起こり、海事関係の各団体が推進委員会を設置します。このメンバーに、歌手の加山雄三さんが所属していたのです。しかし、「海の日」の由来が加山雄三さんというわけではないようです。
あくまでメンバーの一員として、加山雄三さんは「海の日」という祝日を作るために尽力したのです。 では、誰が由来なのでしょう?「海の日」を祝日にしようという動きは昭和30年ごろからあり、それを熱心に進めていたのは、財団法人日本船舶振興会の会長をしていた笹川良一さんです。笹川良一さんが中心となり、7月20日が「海の日」として国民の祝日となりました。しかし、その初施行を翌年に控えた平成7年(1995年)7月18日に、笹川良一さんは95歳でこの世を去りました。「海の日」という祝日を迎える前に笹川良一さんはこの世を去ってしまいましたが、その努力は報われたのです。
海の日は、祝日としては歴史の浅いものですが、もともとは明治時代の御巡幸が由来ということがわかりましたね。祝日として制定されるまで、多くの人が尽力し、その中に加山雄三さんもいらっしゃったのです。あくまでメンバーの一員として・・・のはずが、「加山雄三さんが海の日を作ったらしい!」と誤って広まったといわれています。
海と言えば加山雄三!というイメージを抱いている人も多いでしょうから、誤って広まってしまったのもなんとなくわかる気がします。
土用の丑の日(年によって異なる)
「土用の丑の日」は春夏秋冬それぞれ1回~2回あるのですが、「ウナギを食べる日」として私たちが認識しているのは夏だけです。
日の並びによっては「ウナギを食べる日」が一度だけの年もあれば、二度ある年もあるようですが、今年はどうでしょうか?
土用の丑の日と聞くと「ウナギを食べる日!」と、美味しそうなウナギを想像する人もいらっしゃるかもしれませが 毎年夏になると「今年の土用の丑の日は○月○日」と話題になったり、ウナギを取り扱うお店では予約が始まったりしますが、そもそも土用の丑の日に何故ウナギを食べるのでしょうか、土用の丑の日とは、何か調べてみました。
意味と由来 鰻(うなぎ)を食べる理由
土用の丑の日と聞くと「ウナギを食べる日!」と、美味しそうなウナギを想像する人が多いと思います。毎年夏になると「今年の土用の丑の日は○月○日」と話題になったり、ウナギを取り扱うお店では予約が始まったりします。
土用の丑の日
土用(どよう)とは、雑節のひとつです。雑節(ざっせつ)とは、一年間を24等分にした二十四節気だけでは十分に季節の変化を読み取れないので、二十四節気を補助するために日本独自で考えられた暦のことです。五行思想(ごぎょうしそう・万物は木、火、土、金、水の五種類の元素からなるという自然哲学の思想)では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水が割り当てられ、季節の変わり目に土が割り当てられていて、これを「土用」といいます。
土用の期間は、立春(りっしゅん・2月4日ごろ)、立夏(りっか・5月6日ごろ)、立秋(りっしゅう・8月7日ごろ)、立冬(りっとう・11月7日ごろ)の直前、約18日間のことです。
2020年は以下の通りです。
春の土用 | 4月16日(木)~5月4日(月) |
夏の土用 | 7月19日(日)~8月6日(木) |
秋の土用 | 10月20日(火)~11月6日(金) |
冬の土用 | 1月18日(土)~2月3日(月) |
この期間中に巡ってくる「丑の日」を「土用の丑の日」といいます。
土用の期間は土公神(どくじん・土を司る神様)が支配する時期で土の気が盛んになると考えられており、土を動かす作業や殺生を忌む(いむ・不吉なことを避ける)習慣がありました。ただし、土用に入る前に着工して土用中も作業を続けることは問題ないとされ、土用の間日(まび・一般の仕事に支障が出るため設けられた日)には土公神が天上へ行き地上にいなくなるので土を動かしても良いそうです。
「丑の日」の意味
「丑(うし)」は十二支のひとつで、紀元前1600年ごろから中国で使われている年月日や方角を表すものです。一般的に、日本では一年ごとに十二支(干支)が決まっていますが、日にちにも十二支が当てはめられているのです。
子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)
これらが順番に割り当てられており、12日間で一周します。
土用の期間中に巡ってくる丑の日が「土用の丑の日」なので、春夏秋冬必ず一度ずつ丑の日がありますが、巡りあわせによっては二度あることもあります。「土用の丑の日」と聞くと、夏を思い出してしまいますが、春夏秋冬すべてにあったのです。
2020年の土用の丑の日は以下のとおりです。
春=4月16日(木)、28日(火)
夏=7月21日(火)、8月2日(日)
秋=10月25日(日)、11月6日(金)
冬=1月23日(木)
私たちがつい「ウナギを食べる日」と思ってしまう夏の「土用の丑の日」は、2020年は7月21日(火)、8月2日(日)です。2020年は土用の丑の日が2度ありますが、そのようなときは、1回目を「一の丑」、2回目を「二の丑」と呼びます。
なぜウナギを食べるか
夏の土用の丑の日だけ、ウナギを食べる日ということで注目されていますが、なぜウナギを食べるようになったのか、諸説あるようですが有力な説は、平賀源内(ひらがげんない・発明家、蘭学者1728年~1780年)が決めたという話です。
江戸時代(1603年~1868年)に、ウナギが売れなくて困っていたウナギ屋が平賀源内に相談したところ「丑の日にちなんで『う』から始まる食べ物を食べると夏負けしない」という風習があったことから、「本日、丑の日という張り紙を店に貼りなさい」とアドバイスをし、その張り紙の効果でウナギ屋は大繁盛になったそうです。
土用の丑の日は、夏だけのものではなかったのですね。春夏秋冬それぞれに土用の丑の日はありますが、一般的に「土用の丑の日」というと、夏にウナギを食べる習慣のある日のことを指すようです。ちなみに、ウナギの旬は冬なのだそうです。夏は旬ではないので売れないので売れるようにするには、どうしたらいいのか悩んだ末に昔の人は土用の丑の日にウナギを食べる習慣を作り上げたのかもしれません。
お中元(地域によって異なる)
季節の挨拶でもあるお中元の時期は、地域によって異なります。お中元とは旧暦の7月15日のことを言います。大きく分けると、旧暦の7月15日をそのまま新暦の7月15日に当てはめているのが東日本、旧暦を新暦になおして8月15日に当てはめているのが西日本です。
お中元の時期とマナー
梅雨の時期、デパートやギフトショップなどで「お中元」の注文受付をしているのを見かけます。自分はお中元を贈る事はしてないので関係ありませんが横目でもうそんな時期なんだなと思いながら見てます。早いところでは5月には注文受付が始まるお店もあって、早め早めに準備にとりかかる方も多いようです。日ごろの感謝の気持ちを贈るお中元ですが、地域によって送る時期が異なるようです。それぞれの地域ではいつからいつまで贈ればいいのか、マナーも調べてみました。
お中元の時期
旧暦7月15日のことを「中元」と呼んでいました。これは、中国から伝わった道教の「三元」という節目のひとつで、1月15日を「上元」、7月15日を「中元」、10月15日を「下元」といいます。この「中元」が、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ・お盆のこと)の日と重なったことから、日本ではお盆の時期にお中元を贈るようになったといわれています。
旧暦と新暦では、約1か月のズレがあります。東日本では旧暦7月15日をそのまま新暦の7月15日に当てはめ、西日本では旧暦を新暦になおしたときの8月15日に当てはめています。
大きく東日本・西日本とわけましたが、もう少し小さくわけてみると、各地域のお中元の時期は下記のようになっています。
北海道・・・7月下旬から8月15日
北陸・関東・東北地方・・・7月1日から7月15日
東海・関西・中国・四国地方・・・7月15日から8月15日
九州地方・・・8月1日から8月15日
お中元のマナー
お中元は、本来は季節の挨拶をするためのものでしので、直接先方へ伺い日ごろの感謝を伝えるのが一番良いのですが、遠方に住んでいたり、忙しくて伺えなかったりということも多い事でありますので注文をしたら店舗から直接配達することが増えています。
自分が直接挨拶に行けない場合は、挨拶状を同封するか、荷物が届く前に手紙を出すといいでしょう。特に、生鮮食品を贈る場合は、先方の都合もありますので、届く前に挨拶状で何を、いつ、どこから送ったか伝えておくと安心です。
お中元に同封する挨拶状は、お店によっては持参したものを同封してくれる場合もあるので、事前に確認しておくと良いでしょう。お中元をいただいた場合は、お礼状を出しましょう。お返しをする必要はありませんが、お礼状で無事に品物が届いたことを伝えましょう。
電話やメールで済ませてしまう人も増えているようですが、手書きのお礼状で感謝の気持ちを伝えるといいかもしれません。お礼状は、お中元が届いたらなるべく早く出すのがマナーです。お中元の時期が地域によって異なりますが、これは、お盆が地域によって異なることと重なります。お盆の時期に、日ごろの感謝の気持ちと、相手の健康を願って贈るのがお中元です。とはいうものの、最近は地域によって贈る日を変えずに、日本全国7月15日までに届くようにする人も増えているそうです。お盆を気にせず、夏のご挨拶という風に考えるのもいいかもしれません。
暑中見舞い(7月~8月上旬)
夏の一番暑い時期に、日ごろお世話になっている方や、友人知人の安否伺い、自身の近況報告をするものです。普段はメールや電話、SNSなどで連絡を取り合っているとしても、時には相手のことを想いながら筆をとってみると今の時代では、新鮮に感じるかもしれません。
暑気払い(6月下旬~8月中旬ごろ)
時期は特に決まっていないのですが、暑い日が続いて食欲が無くなったり、体が疲れやすくなったりするころ、冷たい食べ物や飲み物で体の熱を冷ましたり、海や川で暑さを凌いだりします。
会社帰りにビアガーデンを楽しむようになる時期でもありますね。
梅雨が明けて、本格的な夏が始まる7月。
イベントや行事が多い時期、地域限定のお祭りや花火大会などもたくさんあると思います。
ここ数年、気象庁が注意を促すような暑い日が続く夏場の予定を立てるときは、あれもこれも詰め込んで夏バテしないようにしてくださいね。
たまには体を休ませて、暑気払いや土用の丑の日に英気を養い、暑い夏を元気に過ごしてはいかかでしょうか。
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